古稀日記 6月19日 【An eye for an eye and a tooth for a tooth】

Ayako先生のお子さん凪くんは小学校3年生。元気の塊で、言葉が豊富で、会うのが楽しみな少年です。昨日学校の課外活動の準備をしながら「念には念を。歯には歯を。」と言っていたそうです。かわゆす。

子どもは言葉を音で捉えて覚えるので、意味理解は後からついてくることが多い。私は子どもの頃(大昔だわ)、思い違いをたくさんしていました。父は「一言居士」とあだ名がつくくらい、何にでも一言添える人でしたから、みんなで話していると「それは~だ。」とことわざや古典の引用を言うのが常でした。

「めXX蛇に怖じず」と聞いたときは、「目の見えない蛇は怖くないんだな」と納得しました。「二階から目薬」と聞いたけれど、なぜか「天井から目薬」と記憶して、どうしてそんなところから目薬が降ってくるのか不思議でした。「三つ子の魂百まで」は訳がわからず、三つ子に生まれると100歳まで1つの魂なのか?と考えました。

高校の英語の授業で、研究社「新々英文解釈研究」(山崎貞著)を隅から隅まで覚えさせられ、第1部基礎編の「theの用法」例文に「What is learned in the cradle is carried to the grave.」が「赤ん坊の時に覚えたことは死ぬまで忘れない。」と訳文がついていて、あ、これだ!とやっと理解しました。同じ用法の英語に「The pen is mightier than the sword.」がありましたぁ。

ことわざだけでなく歌も勘違いしていました。「蛍の光」を歌うと、杉板でできた庭のしおり戸の映像が浮かびました。そして、クリスマスになるとなぜみんなでキヨシくんを呼ぶのだろうと思ったこともありました。

日産ブルーバードと父。アーカイブものの写真です。

追記(6月20日):子どもの頃「少年少女世界文学全集」というのが毎月2冊ずつ配本されて専用の本棚が埋まっていきました。「若草物語」に「必要は発明の母」という言い回しがあり、これも何が何だかわかりませんでした。ふぅ。