古稀日記 2023年1月13日 【조선 시대】

表題は「朝鮮時代」のハングル表記で、[チョソン シデ」と読みます。太祖(テジョ)が開いた朝鮮王朝は、27代王純宗(スンジョン)まで500年続きました。27人の王に44人の王妃、そしてそれより多数の側室がいました。王座を血族で継承するために、親子、兄弟の殺し合いがあり、そこに重臣の政争が加わり、「事実は小説より奇なり」的歴史の500年です。

この時代を描いた韓国ドラマが私の現実逃避場所です。もともと韓国ドラマは好きでしたけれど、コロナ禍で歌舞伎を見に行けなくなり、韓国ドラマに向く時間が増えました。韓国時代劇といえば、イ・ビョンフン監督の長編ドラマが入門編です。イ・ビョンフン監督の「チャングムの誓い」と「馬医」は見たことがありましたが、コロナ禍お籠りの中「イ・サン」(全77話)を見て、以前より朝鮮時代のことを調べ、だんだん深くハマっていきました。史実を曲げることなくフィクションを加えてあり、全部見終わると歴史をドラマで勉強したような感じになります。そして、ゆったりしたセリフまわしと、大仰な演技が、とても歌舞伎に似ていることも発見しました。現実逃避にもってこいです。

イ・サンは22代王正祖(チョンジョ)の名前です。初代王太祖は李成桂(イ・ソンゲ)という武将だったので、代々の王は全部李氏で、平民とかぶらない超難しい漢字一文字の名前がついています。イ・サンは漢字では李祘です。絶対に読めないわ。

イ・サンは27人の王の中で最もドラマチックな人です。祖父の21代王英祖(ヨンジョ)は、19代王粛宗(スクチョン)の側室の息子です。身分制ガチガチの朝鮮時代では側室も名家から連れてくるのが通常だったのに、粛宗は王宮で働いていた身分の低い女性に恋をして側室にしてしまった。(この女性がドラマ「トンイ」の主人公です)母親が賎民(身分制度の最下位)の英祖は王位につくことはだったのですが、20代王(異母兄)が世継ぎを残さずに早逝したので22代王になりました。この経緯をチョン・イル主演のドラマ「ヘチ」が描いています。このOSTが優れもので、ひーさんブーブー(車)で聞いています。

英祖は長生きして52年間王位にいました。息子荘献(チャンホン)を王位継承者である世子(セジャ)にしたのですが、なんと!この荘献を殺してしまいます。米びつに閉じ込めて餓死させたのです。米びつに人間を入れられるのか?と訳がわからなかったのですが、ドラマの映像で大きな木箱を見て状況を理解しました。英祖はなぜ荘献を殺したのか?荘献が謀反を企んだ、荘献が心を病んで乱行の限りを尽くした、政敵が王に中傷を吹き込んだ、など様々な説がありますが、真実はわかりません。荘献が米びつの中で死んだことは史実です。

英祖は息子を殺したことを後悔して(当然ですわ)、思悼世子(サドセジャ)と名前を贈ります。問題は後継者で、孫のサンは罪人の子どもなので王位に就けないから、一旦伯父の養子にして世孫(セソン)の地位につけます。

ややこしい一族です。のちに正祖となるサンにしてみれば、父を祖父に殺され、その祖父は鬼のような英才教育で帝王学を仕込んでくるのです。じーじを怒らせたら殺されるかも、お勉強できなければシバかれる針のむしろで育ったのです。こんなに歪んだ育ち方をしたにも関わらず、とても良い王様になり、身分制にとらわれずに人材を登用したり、実用的な学問を奨励したり、様々な改革をして、朝鮮王朝の王様の中では名君ということになっています。

イ・ビョンフン監督の「イ・サン」主演のイ・ソジン(この人の名前はうがい薬と同じなので覚えるのが簡単)は、正祖そのものでした。韓服がとてもよく似合い、ウェストから下がプリーツになっている戦服を翻して馬を駆る姿にはうっとりします。英祖と対峙する時の臆病な様子、王座についてからの堂々とした態度、そして、きっと正祖はこんな感じの「人たらし」だったのだろうと思わせる臣下との交わり方。

正祖は歴代の王の中で、寝所を襲われる回数が最も多かったと言われています。それほど政敵が多かった。王様ってたいへんだわ。正祖は、王になって最初の朝廷(国会みたいなもの)で「私は思悼世子の息子だ。」と言います。これも史実です。「私は父の息子だ」と名乗ることで、自分は自分だ、文句あるか、と重臣たち(多くは政敵)をどやしつけたわけです。私はこの場面が好きです。

このイ・サンを描いた新しいドラマ「赤い袖先」に今夢中です。イ・サンの生涯を、宮女から側室になったソン・ドギムの視点から描いています。「赤い袖先」については、また別に書くつもりです。「赤い袖先」のOSTも優れもので、お風呂で聞いています。

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