2024年12月22日
震災と津波から12年。あの日のことは鮮明に記憶しています。その1週間前の週末は、東京で家族と会って還暦をお祝いしてもらっていました。
2023年3月11日、庭は夜の間に降った雪で真っ白でした。お昼はイル・リポーゾという小さいけれど美味しいレストランでクワトロ・フォルマッジョを食べました。(このレストランは今は閉まっています)翌日の12日にOxford大学出版のイベントがあるので、帰宅してすぐ仕事場に行ってMac前でプレゼンテーションを確認していたら、気持ちの悪い揺れがきました。なかなかおさまらないので怖くなって階下に行きました。そこからは、地震の情報に加えて、津波の様子がテレビでリアルタイムで映し出されました。世界が変わりました。
オックスフォードの就任したばかりの社長、スタッフと、複数宛名のメールが行き交い、新潟イベントは中止すると決まりました。
息子は盛岡にいました。彼は、数日後に同僚と車で秋田に行き、そこから空路で東京に戻りました。
仙台のYokoさん、Wakakoさんの無事を確認してホッとしたことを覚えています。10月にオックスフォードのワークショップでキャシーと二人で仙台に行き、お二人と再会しました。Yokoさんが被災した地域を見てください、と案内してくれました。閖上中学校の時計は自身が起きた時の時間で止まっていて、校庭には船が何艘か打ち上げられたままでした。
12年経っても自宅に戻れない人が3万人います。原発事故の恐ろしさを誰より知っている日本なのに、先日ロシアがジャポリージャ原発を攻撃して電源を破壊した暴挙に際して日本政府がなんの声もあげないことが理解できません。また、メディア統制がひたひたと進む中、野球と震災のニュース一色のテレビ放送に危機感を感じています。