昨日は團十郎襲名披露巡業を新潟県民会館で見物しました。児太郎さん後援会のお世話で、中央ブロック7列目の舞台全体がよく見える良席でした。
一。 舌出三番叟
おめでたい演目で襲名披露の幕を開けます。児太郎の千歳は、三番叟が踊っている間じっと控えていて、踊り始めるとそれはそれは嬉しそう、楽しそうで、この人は踊りが好きなのだなぁと幸福のオーラが飛んできました。児太郎が登場した時、後ろの列の方たちから「きれい」と声が聞こえて、嬉しかった。
二。 口上
襲名披露の口上は、位の高いベテラン俳優が仕切ります。猿之助の襲名披露は故藤十郎でした。「高うはござりまするが、口上なもってご挨拶申し上げまする。」と挨拶が始まります。團十郎襲名披露は梅玉さんが付き添います。梅玉さんは大きな役を数多く演じてきた力のある役者ですが、昨日は第一声を聞いて「声に力が無い」と感じました。この後の「勧進帳」で冨樫という大役を演じるので、声をセーブしていたのかもしれません。
三。勧進帳
成田屋の演目の中で最もポピュラーな芝居です。幕府に追われる義経一行は安宅の関で関守冨樫左衛門と対峙します。私はこの演目を3年前の海老蔵巡業がOUPツアーと絶妙に日時が合致したので、金沢と京都で見ています。京都で見た日のブログを引用します。
【2月22日:ランチ後、京都に向かいました。南座で海老蔵特別公演を見物しました。今日も緊密なアンサンブルで見惚れました。リニューアルした南座には今日が初めてでした。小さい劇場ですが、花道が立派です。花道での演技は歌舞伎ならではです。歩いてくるだけで、その役のことが全部見えなくてはなりません。児太郎の義経は純粋な若者で、海老蔵の弁慶は主を敬愛し全身でお護りするのです。その弁慶の懸命な弁明を見破りながら関を通す右團次の富樫。そして脇役の演技も厚く、あっという間の終演でした。】
義経一行は花道から登場します。昨日は舞台下手の短い斜めの花道でした。最初に義経ひとりがしずしずと出てくると、「あぁ、この人をお護りしなくてはいけない」と感じます。これは演技力ではなくて、役者が持っているニンです。ニンはオーラと言ってもよいでしょう。声・顔・姿が役柄とマッチしていないと、そこに立つだけで観客を納得させることはできません。義経は白塗りで、声は弁慶や冨樫より高く発しますから、女形の役者が演じることが多い役です。幸四郎が襲名披露で弁慶を演じた時はティーンエイジャーの新染五郎が義経を演じました。橋之助が芝翫を襲名した時は平成中村座で弁慶を演じ、七之助が義経、勘九郎が冨樫でした。七之助の義経が登場した時は(花道激近の席でガン見)感動で頭と心がクラクラっとしました。そして、勘九郎の冨樫はあまりに気高くて美しくて、上手に立つ勘九郎の横顔ばかり見て、弁慶の記憶があまりありません。歌舞伎は、役者を観に行くという見方もあるのですが、勧進帳で冨樫ばっかり見ていたというのはちょっと反省です。
児太郎の義経は、3年前より悲劇性が増しているように感じました。義経は、じっとしている時間が多く、数少ない台詞と動きで主君らしい高貴さを表現しなくてはならない、なかなかハードな役です。「僕ってどうしてこんなに不幸なの」という台詞を泣き言ではなく俯瞰した自己観察のように淡々と言います。声は、立ち役と女形の中間のアルトでよく通ります。後半に入っての弁慶とのやり取りでは、つつとにじり寄って手を出すだけで、弁慶に心から感謝して機転を褒めていることを表現します。児太郎、上手くなっていると思いました。
梅玉さんの冨樫は手堅い演技で、関を通りたい一心の弁慶と対峙します。白紙の巻物を勧進帳と偽って朗々と読むのを、疑っているのだけれど、ここまで堂々としているから本物の山伏なのだろうと一旦は納得します。その直後、強力(ペーペーの家来で荷物持ち)が義経に似ていると疑いが噴出してからは一切の人情を捨てます。しかし、弁慶が義経を打擲して「義経に似ているなど、こいつが悪いんです。こいつをここに置いて行きます。殺しても良いです。」とハッタリをかますと、冨樫は考えを変えます。ここは、弁慶の弁明を信じたのではなく、強力は実は義経だとわかったのだと思います。弁慶が咄嗟の判断と機転で主君を打ってまで、必死で関を通ろうとしていることに心を動かされたのだと思います。
勧進帳という芝居の理解の面白みは、冨樫がいつ義経に気づいたか、そしていつどんな理由で「通してやろう」と決意したかの解釈です。弁慶役者、冨樫役者のそれぞれの解釈があるでしょうし、観客はその対話を理性ではなく、芝居見物として楽しむわけです。
冨樫は「よし、通って良い」と言い、一度退場します。義経一行安堵!義経が「お前のおかげだ。」とねぎらうと、弁慶は「はは~~~~~~!」とひたすら頭を下げます。この場面の新團十郎は義経命!の弁慶に成り切っていてすご~く良かった!また冨樫が登場して、弁慶にお酒をふるまいます。ここで弁慶が鯨飲して踊りを披露するのですが、私は、この場面の意味が、よくわかりません。単純に弁慶の見せ場を作ったのかもしれないです。とにかく義経と四天王が先に去ります。
残った弁慶は冨樫と視線で会話し、幕外で立ち止まり、深々と礼をします。この礼は冨樫にしているのですが、実際の劇場では、弁慶が観客席の上の方を見ていますから、観客には「襲名披露にきてくれてありがとう。よっく見てくれてありがとう。」という礼にも見えます。昨日の團十郎は、一切の手抜き無しで全力投球していましたから、大きな息遣いをしながら顔には汗と涙がにじんでいました。大きな拍手が起きました。義経を追って六方で去る場面は大きな見せ場ですが、昨日は花道が短くて、六方が少ししか見られず、それが残念でした。
せの字~!
せの字の歌舞伎観劇日記を拝読すればその日の演目、役者のコンディション、舞台、劇場の雰囲気、臨場感が溢れ伝わります!!特に襲名披露公演ですから特別な空気感。役者の緊張感と気迫がこもっていますね。地方巡業での劇場使いは花道が短いという制約も出てくるのですね。それでも見せ場はたっぷり、成田屋の十八番ですからさぞかし勇壮、”新団十郎”誕生ですね。また、せの字は高麗屋、中村屋の勧進帳もじっくりご覧になりそれぞれの特徴もご存じ、うかがい知れて楽しいです✍️(◔◡◔) 今、Eテレにて『女殺油地獄』を観ておりますが、京都南座にて一度は観劇してみたい場所でもあります。
えの字〜!コメントをありがとうございます。「勧進帳」は1時間強というコンパクトな作りで、歌舞伎の要素が全部詰まっていて、名作ですわ。南座のような小さめの劇場で観ると臨場感が大きいです。歌舞伎は同じ演目を様々な違う役者が演じるのを観る楽しみがありますよね。与兵衛は、どうしようもない若者ですが、それでもなぜか嫌いになれない魅力を持っていないとなりません。それが仇になり、とうとう殺人まで犯した与兵衛が花道を転がるように逃げる幕切れが、映画「明日に向かって撃て」ラストのストップモーションに重なります。
あぁ、また歌舞伎見に行きたくなっちゃいますぅ!
節子