古稀日記 2024年4月16日 【a lecture at Keiwa College for freshmen】

敬和学園大学で、先週金曜日(4月12日)に新入生歓迎公開学術講演会が行われました。山本精一先生は、元基督教独立学園高等学校校長、元四国学院大学教授で、金山愛子先生のご長男が独立学園高校で学ばれたご縁から、今回の招聘が実現しました。

山本先生の講演は力強い言葉と、それを噛んで含めて理解させる話術の連続でした。敬和学園大学はリベラル・アーツの学びの場です。そのリベラル・アーツというのは、私は漫然と「専攻を決めないで様々な科目を学ぶ」ことと受け止めていました。山本先生の講演で、リベラル・アーツの意味を知ることができました。古稀過ぎても学びは楽しい。

メモを取りながら拝聴しましたので、一部を書き記します。理解しにくいのは、私の力不足です。

1)リベラルアーツとは、自分で考える、周りの多くの人が言っているからそれに従うのではない、人間を自由にする諸々の技。一つではない。Artは芸術、複数形のartsは、いくつもある。リベラルアーツという教育の本来の意味。

2)人間を自由に育てたら自由になるか?自由になりたいという希求から生まれた教育。パッション。もっと自由に生きる。自分を縛るものを突き止める。束縛から独立する。思うがままに生きることが自由ではない。罠がある。自分のしたいことという自分の欲望に縛られる。自分で自分を縛ってしまうことも不自由もある。自分の欲望に引きずられる。そこから解放され、自由になる。自ら律する。自律の自由。自分だけなく、みんなで自由になる。「共に」

友人が学生の現状を話してくれた。ゼミで意見を言わない。議論をしたゲスト先生のことを「やばい」「喧嘩していた」と捉えた。キョンキョンが政治的発言をするとバッシングがあった。人と違うことを言うと攻撃される。この時代にリベラルアーツの意義・意味を皆さんは敬和で学び、受け止め、問うてください。

3)批判的・対話的思考

ソクラテスは哲学者として生きたのではなく、知りたいことを問い吟味する人だった。プラトンは、ソクラテスの最期の言葉を記録した。「知を愛し求めることをやめない。」

自分が自分で生み出している問題の解決をスマホで検索して答を探さない、専門家の解決法を鵜呑みにしない。自分で考える。これが批判的。

これを対話的に行う。リベラルアーツの根っこにこれがある。

独立した思考・対話的思考⇄奴隷の精神

今この時点でも世界が崩壊している。「日本にいて幸せだ」なんて言ってられない。今この時点でも、ミサイルが落ち、幼子が死に、人々が住処を追われている。

対話的に思考する。他者の言葉を真剣に聞き、対話をする。私はこう思うけれど、君はどう思う?これができない若者を育てている国は滅びる。

奴隷の精神:隷属した精神。論語「民は、ただただ由らしむべし、知らしむべからず」裏金の問題。Yesしか言わない人ばかりの国は滅びる。

4)learn, unlearn(学びほぐす)

ヘレン・ケラーは、ハーヴァード大学への留学生に「私はたくさん学んだが、そのあと多くを学びほぐした」と言った。学んだことに縛られてしまうのは、学んだことを生かすことにはならない。自分が学んだことが役に立たない事態かもしれない。簡単に捨てない。噛み締め直す。英語ではunlearnという。

大学で学ぶこと、人生で学ぶことを、学びほぐしていってほしい。自分の言葉で言い直してみよう。吟味と対話をしよう。

最も根本的な問題を長女が小1の4月半ばに「なんでがっこういかなあかんねん?」と問うた。この問題を問い続ける同志を持ち、リベラルアーツの学びの場で求めていく。

5)他者から学ぶ

他者とは、見えている部分と見えない部分を併せ持っている。他者から見た自分もそうである。深みがある。その人と立ち居振る舞いから学ばされる時がある。学生時代、「オモニ・ハッキョ」という教会の活動でボランティアをした。韓国から日本に連れてこられた女性たちに韓国語と日本語の読み書きを教えた。その時、「当たり前と思っていたことは当たり前ではない。この人たちから文字を奪ったのは日本だ。」と痛感した。鉛筆を握りしめ、文字を書き、失敗して消しゴムで消すと山のような消しかすができる。その山のような消しかすを自分のカバンに入れて帰ったオモニがいた。衝撃を受けた。学んで当たり前だろうという思い込みをオモニの立ち居振る舞いから変えさせられた。自分と同種の人とだけと交わっていたら学ばされるということは起きない。想像力が必要だ。リベラルアーツは想像力を育む。自分の目の前の姿で判断しない、なぜなら、そのひとの背後に歴史があるからだ。

この時代で、次の時代に向かって、少しでも良いものにして残すために、今学び始めたことに大きな意味がある 生かしてください。

時間になった。おめでとうの言葉として、「宮沢賢治の最後の書簡」(亡くなる10日前の手紙)を読みます。

追記:この数日後、敬和学園大学の金山愛子先生の学長ブログが更新され、新入生へのはなむけの言葉が記されました。是非、お読みください。

金山愛子先生のブログはこちらです。

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