古稀日記 2024年5月31日 【보고 싶다】

16年前のことを思い出しています。5月28日に岐阜の母が急逝し、駆けつけました。葬儀の翌日、母の家を片付け始めたのですが、5月31日に三条の義父が亡くなり、急いで三条に戻りました。あの混乱、それに続く様々な出来事を、毎年この時期になると思い出します。

あの朝、私はポストイットに「ママに敬和のパンフ」と書いていました。そのポストイットをまだ持っています。

私は母が20歳の時の子どもです。とてもきれいな人でした。小学校の授業参観で教室の後ろにいるお母さんたちの中で誰より若くてきれいで、嬉しくて何度も振り返って見たものです。

最近は、母が70歳を過ぎてからの様子を頻繁に思い出します。自分がその年齢になって初めて理解できることがあります。あの頃、もっとよく話を聞いてあげれば良かったのに、母が健康と自信を失いつつあることに思い至らなかったのでした。おしゃれな母が、ひとまわり以上痩せて「何を着ても似合わない。人前に出られない姿になってしまった。」と嘆いていたのを思い出します。とても深い悲しみだったことを今は理解できます。

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よりたん
よりたん
11 月 前に

私もいつかお会いして色々な事をお話したいです。そのために心も身体も元気でいましょう。

よりたん
よりたん
11 月 前に

お久しぶりです。お母様との貴重なお写真をありがとうございます。な~んてお綺麗な方でしょう!可愛い二人のお嬢さまとの写真を撮られたのはお父様でしょうか。素敵なご家族ですね。お母様の訃報を聞いてからもう16年も経つのですね。お母様は、児童英語教育のパイオニアとして大活躍されていた節子先生の事をとても誇りに思っていらっしゃったと思います。色々な親孝行の形があるのかなと思います。私の母は長生きしましたが、晩年私はいつも母を笑わせるようにおしゃべりしていました。私なりの親孝行でした。

ゆきこっち
ゆきこっち
11 月 前に

節子先生

お母様、目鼻立ちがはっきりしていて、本当にお綺麗ですね!!
お亡くなりになって、もう16年がたつのですね。月日のたつのは本当に早いです。
節子先生の、お母様へのお気持ち良くわかります。私も親を亡くしてから何年もたつのに
もっとああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かったと思う時があります。その度に
ごめん、と心の中で詫びています(-_-;)

節子先生の七五三の、可愛らしいお写真も見られて良かったです。何となく面影が(*’▽’)

もう6月というのに、しかも九州に住んでいるというのに、朝晩はヒンヤリします。
先生も、どうか寒暖差に気をつけながら日々をお過ごしくださいますように!

ゆきこっち

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